4:00AM

”考えろ”なんて言わないから

cahier

人間的にどうにか変わってやろうなんて、考えている暇が無くなってきた。
ものを書く量は増えたけど、それはどれも周りと自分との話ばかりで、一人のことを思っていると、後ろめたさを感じるようになったのかもしれない。
変化は悪いことじゃないけど、何処に行けばいいか分からない。

 

 

去年の12月中頃から、日記のようなものを書き始めた。
ふつうのノートに。
やってることはここに書いていたのとさして変わらない。
だんだん、人に見てもらいたいと思わなくなってきた、その結果だった。
最初からそうしていればよかったのかもしれないけど、今となってはどうでもいいことだし、そうしたいと思ったから始めただけ。
「なんとなく」そうしたいとかしたくないとか、そういうのを大切にしようって意識は前からあった。

 

ただ、嘘つかなくなったな、ってことはよく分かる。
書いていても、読み返していても、嘘はどこにも無いように書いているみたい。
読むのが本当に自分だけなので、嘘書いても良いことが無い。
だからって今までここで嘘ばっかり書いていたわけじゃなくて、「いま本当にこう思っているのかな」といちいち考えながら書いていると、やっぱり書くのをやーめた、ということが割と多くある。

 

余りにも自分に純粋さを押し付けすぎている。
嘘の無いように、ってことは本当に救われない事ばかりで、疑ってばかりなのは気が楽じゃない。
自分にはもうその癖がついてしまったので、今更どうしようもないんだけど、自分を疑うことをまるで知らない人ってのは結構多くて、直面するたびにうんざりする。
自分に、と思うことは、僕の好きな人たちに関しても言えることで、その人たちにも悪いことが無いようにと、そればかり考えている。

 

ある特別な時間だけ、そこから逸脱してしまおうかと考えたことがある。
嘘でも虚無でも痛みでも、思いつくこと全部を抑制することなく纏めてしまおうって。
本当はそんなこと、企んでいる場合じゃないのにね。
もしかしたら、そんなことが出来るくらいの時間くらいなら作れるかもしれない。
分からないけど。

sonoato

たくさんの色を混ぜてぐちゃぐちゃにしたような、ただ気色悪い空気の中で希望を絶った日があった。
その日は雨が降っていた。
誰かが笑って、また濁った空間をかき混ぜる。
僕は泣いている。
誰にも気づかれないように隠すのも遅すぎた。
多感だったと言えばそれだけ。
誰かの、誰もが持っている棘で僕にしか分からない傷をつけた。
そんな日があった。

 

真っ白でも真っ黒でも。
今は空虚の中に立っている。
何も見えない聴こえない一人を望んでいる。
一つ間違えばズタズタになってしまう。
いつも内側から、自分が自分を壊そうとしていて、孤独ってそれを止めるだけの力が外に無いことなんじゃないか。
幻滅も諦観も、先延ばしになっていく。
命はすでに見当たらないのに生きている振舞いを強要されて。
かと言って、ちゃんと死んでしまうことも想像できない。
きっと、どうにかなったって言って笑っている自分はそこに居るかもしれない。

 

それなら、だからこそ逃げ場が無くなる。
希望を与えようとすることは、彼から言い訳と安らかな夜を奪う。
あの人たちの使う「希望」って、そういう意味なんでしょ。
心はいなくなった。

 

―――――

 

死を願うには遅すぎると分かっているし、それができるわけないことも知ってる。
きっとあの頃自分が焦っていたのは、死ぬなら今のうちだって、もうすぐ死にたくなっても死ねなくなるからって、なんとなく分かっていたからだ。
そして猶予は終わった。あっけなく。
涙顔の自分に言う
「決断できなかったよ」

 

泣いている間だけ、時間が止まってほしい。
今朝はそんなことを考えてた。
髪の毛が落ちていて、綺麗じゃない床で横になった。
崩れていた。
涙なんて出て来なかった。
寝ても覚めても同じ不安のことを考えてるなんて、健康的じゃない。
始まる一日が怖い。
夢うつつで過ぎるのは怖いけど、はっきり分かるのも怖い。
それでもどちらかを選んだ。
カフェイン、頭痛、カフェイン
とても眠い日だった。
望んだものとそうでないものの両方を、物知り顔で誰かがゴミ箱に放り投げた。
ような気持ち。

 

I need caffeine in my blood stream,
I take caffeine in the blood stream.

 

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6/25

親しい誰かが死ぬ想像。自分が死ぬ想像。
そこに隠れている喜びはいつもどこかで願ってきたもので、真っ白な部屋でしかあり得ない幸福な死だけを思い浮かべて祈っていたもの。
それでも、少しの間の痛みや悲しみがそれを覆って見えなくする。
自分が死を選んだら、もう頑張らなくていいんだ、みたいに。
息が出来ない、水面からようやく顔を出した時みたいに。
死んでしまったら、ひたすら深呼吸ができたらいい。
僕が願う人なら誰でも、きっと楽になれたらいいなと思う。
それが誰のことでもいい。

 

選択をしたいと思っている。
気の準備もないまま、殺されてしまうのは残酷だことだから。
まさに殺されることと、心臓に自分の針を刺すことは区別できる。

 

それでも、
選択を逃れたいとも思っている。
責任感の吹っ飛んだ誰かがいつの時代も叫んでいるように、現実感の無い花畑を歩く想像は難しいけれど。
何かを選び取って残りを捨ててしまうことが恐ろしいと感じないことは無かった。

 

―――――

 

みんなが孤独を歌にした。
触れる物は孤独、孤独、黒いシミが伝播していく。
誰にも隣り合っていないと言う癖に、それは確実に伝わっていく。
変わってしまった僕の心は人の孤独に唾を吐いた。
何よりも強く主張しようとして手を伸ばした人を嫌った。
何も強調しないことが趣味の良さだなんて思っちゃいない。
空虚な街で新聞を読んでいるだけならそれでいい。
でもそれで、本当のものを隠してしまうのはお前たちだと。
死んだ仲間の隣で同じ格好、死んだふりをしてまで。
目印ひとつをもらうことだけに必死になって。

 

胸が詰まって動けなくなるような、悲しい話を聞く。
僕では耐えられないから、僕ではその苦痛や孤独を無意味にしてしまうだけだから、と言って目を背けた。
どうしようもないと言い放ってしまえば、自分だけ楽になれたと思う。
もし何かできることがあっても、もともとこんな不安定な地面の上で願ってたら、受け皿の見つからない幸福になり下がってしまうような気もした。
そんなものいらない、とも言えない、けど手に余ってしまう。
明け渡すほど他人に価値を見いだせない。
どうしようもないじゃないか、と息を吐いている。
「楽になれたらいいなあ」
切実な感情というものが本当に心に染み込むものであってほしいと願ってる。

短夜

0514
いつか忘れてしまうようなことを、いま確かに握っている気がする。
ずっと後になってそれが無いことに気づいて後悔するもの。
確かにここにあったことだけは、せめて思い出せるように。
ピアノの音を流しただけの夜。
いつか自分のものにしてしまいたいと願う。

 

0515
ラッキーな日は、アンラッキーを待つ日。
幸福な日は、明日はきっと良くないことが起こると理解する日だから。
それだけでもうたくさんになってしまって、幸福なんて結局分かってない。
きっと今あるものだと思うけど。

 

彼らはいつも、僕が死んでしまいたい理由だけを投げつけてくる。
分かり切ったことを大声で言って、僕は何度もそれを確認するだけ。
人に頼むくらいなら自分でやるよ。
言えないくらい情けなくて、頼めやしないだろう。

過去や未来から、優しい言葉が飛んでくる。それは自分のもの。
どれだけ気を遣って誤魔化した言葉も、自分相手では通用しない。
うそ、うそだと分かってしまう。
いつも通りの帰着点。

 

0516
虚無、通った跡に何も残らない。
勉強も頭に入らない、時間の浪費。
空っぽな日だった。
前から同じような日はあった。

 

0523
メンタルとフィジカルの解離。
身体を動かして何かしているときも、頭はまったく違うことを考えていて、その直後にはもう自分が何やってたか分からなくなってしまう。
鍵をかけたことを確認する作業を、何回か繰り返す。
いくら中身を確認しても、忘れ物を心配してしまう。
行動とそれに起因する感情、思考が伴わないと記憶から消えてしまう。

 

―――――

夜更かしは遅くても3時。
早起きは早くても5時。
AM4:00という時間が、自然に別の意味を持ち始めた。
必ず寝ている時間。

 

最近雨が多くてつらい。

 

The best is over and the worst is yet to come

 

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5/10

何も考えていない時間や、そうでなくてもくだらないことを考えている時間が増えたような気がする。
大事な事を忘れっぱなしにしているみたいで、上手に考え事が進まなくなっている。
本を読んでも、活字と脳の間に変な仕切りがあって内容を上手く読み込めないし、ましていつもやってたように同時並行で思考を繋げることも出来ない。
何が原因なのか分からない。自然とか季節とか、そんなもので済めば良いと思う。

 

幻滅されてしまうことをいつもいつも怖がっていた。
いつかそういう時が来るんだろうとずっと思っていた。
でも実際、この現状が恐れていたそれだとしたら、僕は実感を掴めていない。
いつも、過去や未来のことを楽しみにしたり怖がったり悲しんだりしているのに、現実、現在には信じられないくらい無頓着だ。
だから余計な失敗をして、過去のそれをずっと心配してしまう。
自分に向けられたものではない言葉も、一瞬自分のことかと思って焦ったりもする。
もし本当に自分のことだったとしても、僕は関与しない。
つまらない人間に対するつまらない対抗心だけは残っている。

靴擦れ

自分の名誉が傷つけられることを恐れない人間は、やがて他人の名誉を傷つけることになる。
それは、他人の名誉を傷つけることは、自分の名誉をリスクに晒し、傷つけられ失うことの第一段階だと言えるからだ。
(その時点で大半の人間はその進行を止められないし、これは正常な事だと思う)

人に笑われることを恐れない人間こそが、本当に汚い意味で他人を嘲笑う。
別の地点から第三の力が働かなければの話であって、同じような仕組みの社会的な上位互換であれば、法律とか規則によって抑止が効くが、コミュニケーション上のくだらない問題(僕はくだらないとは思わないけれど)では、感情論的な空気が支配するので誰も止めてくれなかったりする。

「人にやられて嫌な事は、人にするものではない」
幼いころから言われ続けてきた言葉は、意味があるとしたらそういうことなんだろう。
僕の知る意味で信用する理由が、十分すぎるほどある。

 

―――

 

人生の敵に立ち向かうことを推奨、応援する歌。
これが世に蔓延することで、その場の全員がその言葉に縋るという凄惨な現状。
正義の少数を支援するべきものは、いつからか大衆の背中を押す。
敵は誰だ?
私には一つ、穏やかな閑静をください。

 

―――

 

靴擦れ。
新しいスニーカーを履き始めて、数日たってのこと。
かかとの少し上、靴下と白い生地に血が付いていた。
歩いているうちに痛みは気にならなくなっていて、その間に血液は流れ出ていく。
期間があれば靴の形状も整う。
何も苦ではないはず。

必要な事ならやれる人間だって思う。
そうしているうちに生力が流れ出ていっても、誰かのためだとか言った途端に、青白い顔で「これでいいの」と言う。
でも純粋に自分自身のためにできることに大して最大限の努力を尽くした記憶は無い。
いつも最後だけ失敗する人間。
あまりにもそれが”自分らしくて”笑えてきた。

 

―――

 

「人間らしさ」という言葉を嫌いな人間に対して使う時。
この言い方の全体が、その社会的な存在規定と意味を内包していて、いわゆる『社会的人間』らしさを言っている。
これはもともとの野性的人間(ヒトって云うやつ?)としての規定をまったく知らないどこかに放置して、今ではもはや人間=社会的人間でしかあり得ないのだという事実、ごく自然な流れの結果。
そういうわけで、嫌いな人間、大体は気に留める必要も無い愚か者(なのに無関心でいられない自分は未熟だなと感じる)に対して言う「人間らしい」は、要は社会的、その名誉の面で恐れている結末を避けるための必死な愚策に溺れているという構図を卑しいと思っているだけのこと。

4/16

今年の僕には、夏も秋も冬も無いような気がする。
かろうじて春は今日見てきた。
来週で潰えてしまうから、しばらく後の記憶にできるよう、できる努力をしてみたい。

 

過去と未来は平等に対峙しない。
価値観の比重は人によるものか、実は一致するのか。
不確定なものはどうしても信じられない。
期待は防衛本能だ。
未来に起こり得る何か恐ろしいことから、僕はずっと目を背けていたい。
日々をやりすごすことは、もうできないらしい。
一日が終わることが、当たり前に恐ろしい。
Baby you can / Baby you can ...
前は何処で休んだ?
4つほどある恐怖の輪郭を、より一層不鮮明にしていくと、死ぬことが何なのか分からなくなる。
少し先で連番が途切れているのが見える。

 

―――

 

寂しいって感情はあまり純粋ではないようだ。
まるで自分の所有物であるかのように扱っていた人間が、自分から離れていったり、他人の物になってしまうのが悔しいとか、憎らしいとか。
そんな綺麗でないものの寄せ集め、簡略表現に過ぎないのかもなあ、なんて。
ずっと綺麗な人間でいたいと願う。
真っ白。

 

「感情」という言葉で一まとめにするけれど、本当はそれぞれ全くの別物であるわけで。
好きも嫌いも悲しいも嬉しいも寂しいと憎らしいも、全部違うもの。
対立するように見えるものだって、天秤にかけてみればつりあわないし。
言葉で捉えることしかできないものは多くあって、それに気づくたびに真実に触れないことを嘆いている。
言語間で多少の違いがあるだろう。
感情の語彙はまだまだ豊富とは言い切れないように思う。

 

――

 

幼い子供たちが僕を先導して歩いていく。
久しぶりに会った。
名前は覚えてもらえていない。
向日葵なんて、いつも俯いているように見える。
その方が、少し嬉しそうな雰囲気がある。
虫取り網を持って僕を殴るのが好きな、下の子は笑う。
車がまったく通らない道を、のぼっていく。
神社は相変わらずそこにあって、いつも僕らを出迎えてくれるような気がした。
だからただいまって小さな声で言った。
でも或る時から蝉の鳴き声は、聴こえなくなった。
家に帰るとあの子は、風船のハンマーでも僕をしきりに叩いていた。
でも大きなぬいぐるみは、ずっと大事に抱きかかえていた。
夜はおやすみなさいと言って、暗闇で埃が舞っている部屋に消えていく。
何を考えていたんだろう。

 

写真を整理していたら思い出した、2015年の夏。

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