4:00AM

”考えろ”なんて言わないから

blue

心臓は動いているし脳は働いているのに”死んでいる”とはどういうことか。
生きてることと死んでることがどう違うのか。
人間は案外頑丈にできていると感じるときもあるし、案外脆いのだと思う時もある。
一度壊れてしまえば、その脆さに勘付いてしまえばトラウマが染み付いて四六時中怯えてしまう。
頑丈だと思ったらそれが複雑になる。
弱い者になりたい人はいる。
希少じゃない。
でも自分は頑丈だ。涙は出ないし悲劇も関わってない。
それでも誰かに守ってもらう、泣きじゃくる理由がどうしても欲しくなる。
そうして、量産型メンヘラが完成した。

 

死んでしまうことは、立て直しが効かなくなることだと思う。
やり直しではなく。
時間を戻すとか、それと同等の効果を求めているわけではなく。
数値がもう下降していくのを止められない様に。
生態的に生きていても、もしそうなれば死んでいるのと同じかもしれない。
ここまできて気づいたことがあるんだけど、死ぬか生きるかというのは、現代人、大半はあまり関係ないんじゃないか。
だっていつも問題になるのは生死の手前での重大な問題だ。
100で生き0で死ぬなら40~50を彷徨っているような人たちだから。(目安)
言葉上では「死ぬ~~☆(ゝω・)v」とかもう何の意味も無いし。

 

―――☆(ゝω・)vキャピ☆(ゝω・)vキャピ☆―――

 

自分がいま一番言いたい事に、それとなく似ているような、ありふれた言葉を用意されたテンプレから選び取ってコミュニケーションをとるので、どうしても誤解が多発して、どちらも悪い訳じゃ無いのにお互いがお互いを分かってくれないような気持になる。
それからずっと、何が本心なのか探りながら人と会話をしてるんだけど、疑いだけで始まって疑いだけが残るからよくない。
言葉だって本音や感情に一番近いものを選んでいるだけなので(それを言っちゃお終いだが)その差を疑い始めるときりがない。
けれどそれが分かり合えるようになったら素敵なことだと思う。
自分には、無理だろうけど

 

―――狭い部屋で独り、パソコンだけと向き合って何日も過ごしていて、それとなく言葉が浮かんだらメモ帳に書き留めておく。
そうじゃない時もある。
何かしなきゃ損だよなあと時間を無駄にすることがよくある。
愛されたいという妄想も人と距離ができるにつれて目に見えるようになってくるし、収拾がつかなくなって困り果てていたりする。
4月になる。
春は心がむかむかするから好きじゃない。
寒い時は心が空っぽで痛いけど、その痛みはむしろ愛着が湧くような痛みであって、本当に激痛ってほどじゃない。
ニヒリズムばっかりが脳を占めている訳じゃ無いけど、むしろ何も無いところに生まれるどうでもいいようなどうでもよくないような思考が大好きなので。
もちろんいつまでもそうやっていられるわけじゃないんだ。
2年くらい前から意識し始めて、ちょっと早すぎたかとも思う。
本当にシャレにならないくらい追いつめられたら、助けても言わず独りになると思う。
心の底のどこかでは、そんなことにならないって信じてる。
でも自分の頑丈さに気づいている人間なので、いつまでも自分を上手く騙してやっていけるかどうかなんて分からない。
執行猶予が確実に減っていく。

 

hitogoroshi

夢か、ゲームか、お化け屋敷か。
或いは前世?
僕は人殺しなんてしたことない。
でもはっきり分かることが記憶に棲みついてる。
無惨な殺され方をした顔は上を向いていて、口から血を吐いていて、目がとんでもなく見開かれている。
そのそばを通り過ぎようとする僕はいつも、それが今にも動き出すんじゃないかと、怖くて怯えている。
通り過ぎようとしたら足を掴んでくる。
そんなスプラッタドラマのような光景を、まるで自分の記憶かのように思い起こす。
知人が死ぬ様子を想像しすぎたのかもしれない。
それはもう、よくある事だけれど。
「親や友達が目の前で死ぬ」そういうことを考えるのは。

―――――

人を励ますってことは無責任がいつも付きまとっていて、それをできるだけ、発言に説得力を持たせようとはしているけど。
あり得ないようなことを言ってる訳でも、心にもないことを言ってる訳でもない。
でももし自分の言葉でその人が気分を持ち直しても、その結果同じように失敗をしてしまったら、怒りの矛先の一部は自分に向けられても仕方ないかなと思う。
そんな未来を少し心配しながら、「きっと大丈夫だよ」なんて自分が言われたらぷっつんといきそうなことを言う。
平気で言ってるわけじゃない。
でも、無責任だと思う。
相手にとって何がいいか、なるべく多くのことを分かってあげられたらそれに越したことはないだろう。
でも人間は相手に求める物を、同じように求められたら拒んでしまいたくなる生き物なので。
程度の問題だとは思うけど、なにが上分別だか分かりもしない。
難しいね。

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こんな気分のときに誰かと話ができたら

 

ちょっとしたことを教えてくれたら

 

それだけで随分救われるんだろう

 

楽しそうな彼らに触れることはできない

 

心が、寒くて

 

みんなに憧れてる

 

何も知らない、何でも分かっている人たちが羨ましくて苦しい

 

誰かいませんか

 

そんなことを、重複するまで無意識に呟いてた

 

苦しい

3/21

欲しい欲しいが積もりに積もって、手に負えなくなってしまうのは、(おおかたの人間にとっては)半自動的な機能で、仕方ないと言えばそうだ。
けれど、欲しがった、やがて手に入れたものを管理する、保護する機能は、個人の裁量次第なわけで、ひとびとの間で差が出来るとすれば、その点が大きいんだろうと思う。
欲望のことだけじゃなくて、他のことでも同じだろうけど、一般的に誰でも持ってる機能程度と、個人の天性や努力に依存する能力を混同すると、一見正しいようなことを言っていて論理的に見える物が、実はただの感情論、もしくはそれにすら満たない戯言になっていたりする。
よく見る光景。痛々しく、未来が不安になる光景。

 

・・・・・・脱線・・・。

 

それで、僕にはその容量というのが十分に無い、もしくは他のもので場所を取り過ぎているらしく、欲しいものや人のことを考える度、自分には手に負えないだろうなと思ってしまう。
手に入れてしまえば、きっと幸せになれるだろうけど、近いうちにそれを強く握り過ぎて壊してしまいそう。
しかし、
「こいつは十分手に負える。」
そんな対象があって、人間があったとしたなら、きっととても残酷なことだろう。
だからいっそのこと、何事も手に負えないって分かればいいのに。

 

 

「進路や就職はまったく未定だが人間的目標は、多大なる目標が存在するんだ」
と言う(言ったこと無いけど思ってるらしい)割にはずいぶん自信がないじゃないか。
自信の無さが一種の強みであったことは確実だ。
ネガティブなものが個性に深く侵食していくようだった。
ずっと前からそう。
だから問題にしなくていいのだ。
でも心配だ。不安症の上にある、漠然とそこに浮かんでる、何十年後も後に気づいてしまいそうなその絶望がたまらなく恐ろしい。
少しばかり打擲してやればすぐ元の形に戻ってしまう、現代的な意味で頑丈な心も、そればっかりは対処しようが無いんだけど。

 

*人の上に立つことは好きじゃないと思っているけれど、人を見上げているのも上手じゃない。

3/19

他人のどうでもいい言葉でこの軽薄な自尊心が、嘘だって分かってても自分を守ろうとする言葉がぶっ壊されてしまいそうになる。
自分の世界を創り上げて維持しなきゃならないのは、生まれた時に何も特別な意味を持っていなかった僕が、今も誰かの悲劇や才能を見て胸を抑えてしまうような人間だから。

 

「病み期だ」
いつもよりずっと小さな声で、いつもよりずっと暗い顔をしてそう言った友人の前で、自分の思う言葉はたぶんこの人を壊してしまうだろうと、そこまで考えが至ったことは自分にしては珍しいことだと思う。
正論は人を殺すという避けようの無い理論を、誰かに食らいながら誰かに食らわすような不毛な事は、少しずつ減らしていきたい。
そういうわけで彼の助けになろうと、割と心の中から思って言ったものは、どう受け止められたかもわからない。
自己満足が同じように彼を傷つけないように、ということも考えてはいたけど。
家に帰って少しして、もしかしたら自分が気持ち悪いんじゃないか、なんて考え出して止まらなかった。

 

誰かには他の誰かが助けになってくれる。僕はそのために必要ない。
これは割と大事なことだって自覚した。
自分にとってその誰かがいるかなんて知らないけど、(誰か誰かと言って、その誰かが誰なのか、自分は分かってる)献身に酔うのは、そんなつもりじゃなかったとしても、良いことじゃないよね。
理屈で分かっていても、口の勝手な動きを制御するのは簡単じゃなくてさ、でも習慣にしてしまえばきっとうまくいく。
笑い方の変遷ってのはある。

―――――

読みたい本がたくさんある。

カミュカフカサリンジャー、シモ―ヌ・ヴェイユ夢野久作
あと安倍公房も興味がある。
休み中にどれだけ読めるかなぁ。
目的達成したらたぶん今までで一番”有意義な”休みになるよ。

selfish

避けることがどうしてもできないと理解した瞬間、まったく別のベクトルを持つ思考が頭の中を飛び回る。
どっちにしたってうまくいかないことは分かっているし、後悔が残ることも分かってる。
自分が不安で仕方ない対人関係の問題を、同じように他人に突き付けようとしている。
そのエゴイズムは持ち得る苦痛の反動だ、なんて言い訳をする暇もなく、嫌いと幻滅は割とすぐに襲ってくる。
でもやっぱり言われるままにしなきゃならない。
もちろん指示が理由じゃない。
(きっと)困る人がいるからだ。
このクソみたいな責任感が大嫌いで、いつも損をしている気がする。
性格の問題、不安症、萎んでいった自殺願望とかの下で、たびたび行き詰る。
死ぬまで何年もこんなこと続けてたら死ぬだろう。
でも死なない。
これが不条理かと頭を抱えるのも何度目か分からない。
絶望的で”明日”からずっと遠くにいる朝日を浴びるのは、怖くて、不安で、目を開けられないような朝がある。
自己肯定感を摂取する(いつか消えて、そのたびに薬を飲みながら生きる)ために言葉が欲しくて、誰かの感情と思想が欲しくて、とにかく下を向いて本ばっかり読んでいたい。
もはや有意義とか本質なんていう、死んでしまってもう誰かが勝手に造形した言葉に頼れない。
出鱈目な寂しがり屋はどちらに転んでも大騒ぎしてる。
きっと何かに満足するなんてことができないまま…望んだ死は一生、死ぬまでやってこない。