パラプリュイ

失敗を糧にするとか切り替えるとか、そういうことを簡単に言わないでほしい。
たった一つの失敗や間違いや悪意や怠惰がつけた傷は深いし、そんなものは反省なんてされても関係ないから治らない。
傷つけられたほうは自分一人でそれを庇って生きていかなきゃならない。
償いの余地は、お互いが対面したときだけ存在する。
反省も更生もしないで、ゴミはゴミのまま、クズはクズのまま、悪党は悪党のままで死んでいってほしい。
そんな救いのないことを思ってしまう。
「憎悪は、いかなる人間にもある同情に値する部分を否定してしまう。憎悪は虚偽です。憎めば必ず嘘を吐くようになる。」そう言っていた人があった。
しばらくはその仕組みに追従していたと思う。
でも、人殺しが何の咎めも受けずに笑って生きているのを眺めるような、そういう無力感は、恨みが消えても別に残ってしまうだろうし、人間には敵わないなって何度も思い知ったような気がする。

 

「そう思うことにしよう」なんて。
思うことはいつだって自分でコントロールできるものじゃない。
考えざるを得ない、思わざるを得ない状況にあるからそうなってしまうだけで。
いつも自然に忘れて落ち着くのを待つだけ。
それで逃げられなくてさらに深いところに沈んでしまうのも、自然な事だと思う。
だから思考をやめて、忘れていくのを待つだけになった。

 

痛みや苦痛を乗り越えたって言うけど、結局、忘れてしまっただけだよ。
時間が解決すると言われることはたぶん少し違っていて、
解決してくれるのは、最低限の生活と、日常の記憶の上書きくらい。
同じ時間が過ぎても、ずっと布団の中でうずくまっていたら、怖いことは頭から離れてくれない。
いろんなものを見て聴いて暮らして、たまには外に出て、そういう日常を積み上げていって、つらいことは少しずつ遠くなって忘れていく。
もう3か月も耐えてきたんだって、ピリオド以前のことをまったく見ないようにしている。
本当は乗り越えたなんて言えることでは無い。
1人では何も解決できない、忘れることすら1人では難しい。

仮に、忘れてしまっただけだとしても。
死ぬより前に耐え抜いたってことは、きっと、よく頑張ったよねって思っていいんじゃないかな。誰の事でも。

 

 これで救われた自分がいた。


― ― ―
死ぬ死ぬ詐欺みたいなことをして、ここまでやってきた。
しないより楽だった、けど、割とギリギリのところにいるのは分かってた。
つらいままでも、このまま生きていくしかないかって決めては、そんなの無理だと突き返した。
だって明日には、来週には、それが通用しなくなるかもしれない。
自分では背負いきれない苦痛がまた(あのときみたいに)来るかもしれない。
期待なんてしないほうがいい。でも、期待するもしないも防衛機能だから。
いつも裏切られては懲りることも無いこれは、また同じ間違いを繰り返して、また同じように落胆する未来があるのかなって、そんなことを考える。

真っ暗な場所にいる人のことなんて分からないに決まってる。
想像するだけでも難しい。
みんなが喋っている時、そんなことは頭にない。
だから、暗い陰に隠れていたら出るタイミングを失って、そんなつもりは無いのに驚かせたような格好になってしまう。
「こんなところで何してんの?」
そう言って苦笑いされるようなことがよくある。

 

― ― ―
雨。
窓の外からはっきり雨音が聴こえるくらい降るのは久しぶり。
そんな暗い夕方に、携帯だけ持って外に出た。
傘をさして歩いてると、荷物が無いせいで、傘がいつもより大きくなったような心地がした。
濡れなくて済むときもあるんだ。
そんなことを思いながら、短い散歩をした。

goodbyes

いつの間にか、ずっと前から、不安は安心の土台になっていた。
不安を感じていること自体が安心の必須条件になってしまったのは、不安がただの防衛機能だからだろう。
安心しきった状態で、絶望や不条理や、時に訳の分からないくらい冷淡で無責任な人の言葉にぶん殴られるのがとても怖くて、不安を抱えることが、あるいは期待しないことが、身を守る手段になっていた。
ノーガードで背中を刺されるよりは、確かに怖いと思ってたんだ、って後から言えたほうがずっと良い。
例外はあった、けど、それも結局は自分じゃない怖い人たちの一部分でしかなかったことを理解した。
約束とか、何かしてたっけ?

 

 

不安はあったほうが後々助かることの方が多いのは、実感として確かにあるからいいとして、これはその不安が耐えきれるものである限り有効だってことに気づいた。
もうすっかり癖になってしまったので、あきらかに大きすぎる不安も無理矢理吸収しようとして心はぼろぼろになった。
安心したと思った瞬間に、このままじゃ危なくない?って、また不安のところに戻ってきてしまうんだけど、それはもう自分ひとりの手に負えるものではなくなってるから、救われないような気がしてくる。
たぶん本当にそうだけど。

 

 

― ― ―

 

心のメンテナンスという言い回しが気に入っている。
もう機械としか見なしてないところが。
ゆっくり治していこうよね、って感じがしてほんの少しだけ気楽になれる。
この苦しい感じを、癒えない傷だとかトラウマだとか、そんなふうに呼び名をつけてみると、存在を確認出来るので助かる。

 

音楽とか動画とか、今日知ったくらい知らない人のブログ(めっちゃ面白い)を読んだりして、なるべく嫌な事は頭から排除してみる。
1週間くらい続けていて、やっと持続する感が出てきた。
受験だって完遂していないのに、心を治すのが最優先だとのたまうだけでそれが許されるような気がしているので、暇があれば眠っている。
こういうとき優先順位を間違ってるなんて思いたくない。
いつだって精神衛生を最上位に持っていきたい。

 

そういうわけで、ここ最近は9mmのレボリューショナリー聴きながら「染めたのさ~~~ッ!」って小声で叫ぶ生活を送っている。
とにかく、今は悪いことを遠ざけること。
人の心配なんて後回しにしてしまうのを許せるようになること。

 

www.youtube.com

眠気

眠くなってきたなら

優しい言葉だけを心に染み込ませる。

孤独の遊びをまた始めている。

素敵な言葉は音楽と本棚に。

少しの慰め。

エズミに捧ぐ

エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、あらゆる機―――あらゆるキ―ノーウがだ、無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。

 

J.D.Salinger

"For Esme - with Love and Squalor"

 

コタール

行き場のなくなった怒りが頭の中をずっと巡っていて、耐えられない
苦しいのは自分だけ
気にしているのは、つらいのは自分だけ
きっと忘れられている
もう自分は自分以外のところに残っていない
人間の限界に触れている気がする
どうやっても目を逸らせない想像
少しの間忘れても、すぐ戻ってくる
消えてくれないかな
もう二度とその姿を見たくないと思う
精神衛生に悪すぎる
消えてくれ
本気で信じていたから、今はただ馬鹿馬鹿しくなるだけ
だって笑っている
平気な顔をしている
人ってそんなに残酷でいられるんだっけ?

 

音楽だけで気を紛らそうとするけど、うまくいかない
そんなの元々無理だって分かってるけど
頼れるものは他にないから
何をしてもこの気持ちを消せない
口を開けば血なまぐさい暴言ばかり出てきそう
だから何も言えないでいる
考えるのをやめたい
脳内が「かもしれない」に支配されていて逃げられない
この憎悪をどこに捨てよう

病棟

「ああ、明日もあるんだ」
そんなふうに絶望するようになったのは割と最近のことだと思う。
朝が恐ろしい。けど、眠る事さえも救いではなくなってしまった。
どんなに今日頑張って、ぼろぼろになった心を持ち上げてどうにか光の無い希望を見出しても、朝になれば全部リセットされてしまう。
今日も死にたいだけで生きていくんだ、と。
心の中にはそういう重力みたいなものが昔からずっとあって、何もしなければどんどん沈んでいく。頑張って、死に物狂いになってみて、少しだけ気を楽にして眠る。
それでも、明日は大丈夫だなんて思っちゃいない。
やっぱり真っ暗な朝に目が覚める。
重力だから仕方ないんだ。

 

想像と現実はそんなに変わらない。
心の中で画になるもの全て、僕を潰しにかかってくる。
かつて人の言葉は救いだった。
今はもう。
「安心して」とか「大丈夫だよ」なんて言われても、それが苦し紛れの気休めでしかないってこと。
この現実は自分以外にはどうしようもなくて、自分でもどうしようもない。
「死にたいんです。」
そう言ってみたときの両親の顔。
どうしろっていうんだ。そんな気持ち、僕もよく分かるよ。

 

現実を手に入れてしまった。
もう誰も救えない。

 

誰か助けてみてよ。
寂しさを紛らしてくれるなら何だっていいのかもしれない。
でもそれは何処にも無い。

 

 

 

明日もある。

fanlight

人が歩いているのを見てまた気持ちが悪くなる。
「この人たちもどうせ何処か汚れていて、過去や未来で誰かを裏切って捨てて、そのくせ一人で反省なんていう慰めに頼ってまた、こんな平気な顔をして生きていくんだ」なんてことを考える。
この軽蔑をどうにか言葉に出来ないかと思っても、まだ足りない。言葉では足りない。
反省なんてしても救われるのは自分だけで、誰かに負わせた傷が治る訳でもないのに。
ただ卑怯な人たちだ。いまは誰のことも許せない。

 

自己否定は自殺的だ。
自己否定が自己否定そのものを否定してしまうから。もう救われない。
これらを信じたらまた自分に傷が増えるだけだ。
そう思いながらも、話しかけられると笑いかけてしまう弱い心。
家に帰って死にたくなる。救いがない。途方も無く。

 

手をつないでいた。
で、それは突然切られてしまった。
僕の手首のところで切られた。
あの子は死んだ僕の手を振り払って捨てる。どこかに行ってしまう。
僕は手を失くした。もう誰かを愛するとか、そういうのは無理だと思う。
失ったものが平等ではない、それが心の底から憎らしい。
こんな恨みをもったことが今まで無かったから本当に疲れている。
許したい。擁護できないかとずっと考えた。けど、どうやら無理らしい。
死んでしまうまで許せそうにない。

 

「どうしてそんなこと気にしてんの」
そう言われ続けている気がする。
ただ人が恐ろしくて、寂しくて、近寄れない。
たぶん誰も分からない。
分かってしまったら殺してしまえるくらいの大きな憎悪を抱えている。

見放されたと思う

心配なんてされたことなかったんだろうきっと

悔しいけどこれでよかったと言えないと生きていけない

生きるためにとれる2つの方法は、種類の違う2つの死

どっちをとっても自分の何かを殺すことになる

そんな気がする

だから救われちゃいけないのだと思う

 

みんな苦しそうな顔をしている。

僕だけじゃない。だから救われない。

死んだほうが幸せなのにまだ生きてる

まだ期待しているのかと思うと反吐が出るくらい。

早く死ねよ自分なんて

早く幸せになって

結末を知ってるよ

それしかあり得ないと思うから

 

吐いた言葉は何一つ嘘じゃなかったのに

信じた言葉はたぶん嘘ばかりだった