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4:00AM

”考えろ”なんて言わないから

1/29 最近のこと

今はすごく幸せで、物足りない事は無いような生活をしているのに、何かを境に、日が経つごとに「死にたい」思いが強くなっていく。

この世になんとなく生まれて、問答無用、とにかく生きなきゃいけなくなって、人間関係で他人には理解できないような馬鹿馬鹿しい悩みを持って、いつか周りの人間を冷めた目で見るようになって、でも表面上は何も不満が無い。

そうしていたら自分が何なのか分からなくなった。

今、とんでもなく間違った道を進んでいるような気がする。

例えば誰かが「死にたい」と言ったのを聞いて、本当はそんなこと思っていない癖に。と感じたり。

例えば同級生が教室で友人と楽しそうに騒いでいるのを見て、心の奥の方では何を考えているんだろうかと考えてしまったり。

捻くれてるねって言われることに不満を覚えるようにもなったりした。

 

「捻くれてるね」って、そうやって自分と他人との間に線を引く。

自分こそが普通の人間だと再確認しているつもりなんだろうか。

 

自分には理解できないような考えを持っていたり、または意味不明な行動をしたりする人を、まるでそれが人間じゃない者のように、自然と認識するようになっている人間があまりにも多すぎて、正直気分が悪くなる。

「自分は違う。自分はそうじゃない。自分はもっとまともな人間だ。」

そう言うのか?

そんな訳無いだろ。

皆同じ人間なんだよ。

そうやって身勝手な線引きをして、自分を正当化するために他人を利用する。

友人だって、ニュースに出てる犯罪者だって、道ですれ違った人だって、みんな人間だ。

多分、例に漏れず、僕もそうやって使われているんだろう。

 

それならさ、もういなくなりたいって、思うでしょ?

自分が望まなくても、誰かの中で、僕はこうやって都合のいい存在になり果てる。

そんなの許したくないし、耐えられない。

常に誤解を受けているんだ。

 

・・・

所謂普通の人間はこんなこと考えないだろうか。

考えないからあんなに軽い気持ちで人間の形をしているんだろうか?

だったら、僕はもう彼らについては行けないし、苦しむ前に死にたい。

 

でも結局、死ぬ勇気が無い。

だって、痛いのは嫌だ。

飛び降りて自殺とかは、怖い。

痛いのは怖い。

法に抵触しない死に方は病死、事故死、衰弱死、と、自殺。

安楽死は認められていない。

安楽死だって、もともとは重い病気回復する見込みが無い時の話だ。

健康な人間に安楽死なんて施せない。

じゃあどう死のう? 

 

もう死ねないんだろう。なんとなく理解している。

生まれた瞬間に、死ぬことは許されないと誓いを立てられたような気分。

死ねば全て楽になるのに。

たった16年しか生きていないから大した財産がある訳でもないし生きたい理由も無いのに。

それが一番幸せなのに。

幸福追求してんのに。

 

これから僕は何も無きゃ数十年生きていく予定なんでしょう?

そんなの苦しすぎる。本当に。

本当に嫌だ。