4:00AM

”考えろ”なんて言わないから

3m

どこにでも本物と偽物がいる。
みんな本気だとかみんな嘘だとか、限定はできないだろう。
何事もそうだけど、100か0の考え方しかできない人は、悪意が無いなら別に嫌いではないけど(好きでもないけど)、少し怖いと思うよ。
別に誰かに文句言ってるわけでもないんだけどさ。

 


悲しい物語が好きな人たち
共感は大事なことだと思う。
それで救われることはたくさんある。
人が死ぬお話。
誰かが泣きわめいて救われない、多くの人が憧れてしまう物語。
悲劇の主人公になりたいのだろうか、もちろん彼らのほとんどはそんなことに思い至らないだろう。
自分に正直な人間は恐らくその一歩手前で立ち止まって苦しんでいるというのに、まあ簡単な話、気づかなければいいんだ。
僕から見たら滑稽で見苦しい。それだけ。

 

鬱系コンテンツに限らず、だいたいのフィクションは悲しい出来事が中で起こっているわけで、或いは複雑な事情を持った人間なんかが生きていくもの。
悲劇なんて、簡単につくれてしまう。
増えすぎたのだ。
本来そういうものは、一部の人々の中にある暗い部分に響いてくるものだったはずなのに、いつからかどーでもいい人たちが悲劇に近寄って食い散らかすようになった。
共感とは過程が逆になってしまった。
簡単に作れる悲劇がそれなりにウケる時代。

 

メンヘラの中にも本物と偽物がいる。
全部一まとめにして避難するのは、なんていうか、情が無いなぁなんて思う。
中には嘘だと気づいていない人もいるだろう。
僕だってそうかもしれない。
でも嘘だと気づいていてそれでも死にたいという言葉だけを呟いて喜んでいるのは見たくない
それすら、仕方ないことなのかも知れない。
救われない、救われないのは彼らを救おうとしてくれる人間だ。
一度確認をした方がいい。
「あなた本当に救われたいの?」って。

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