読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

4:00AM

”考えろ”なんて言わないから

3/21

欲しい欲しいが積もりに積もって、手に負えなくなってしまうのは、(おおかたの人間にとっては)半自動的な機能で、仕方ないと言えばそうだ。
けれど、欲しがった、やがて手に入れたものを管理する、保護する機能は、個人の裁量次第なわけで、ひとびとの間で差が出来るとすれば、その点が大きいんだろうと思う。
欲望のことだけじゃなくて、他のことでも同じだろうけど、一般的に誰でも持ってる機能程度と、個人の天性や努力に依存する能力を混同すると、一見正しいようなことを言っていて論理的に見える物が、実はただの感情論、もしくはそれにすら満たない戯言になっていたりする。
よく見る光景。痛々しく、未来が不安になる光景。

 

・・・・・・脱線・・・。

 

それで、僕にはその容量というのが十分に無い、もしくは他のもので場所を取り過ぎているらしく、欲しいものや人のことを考える度、自分には手に負えないだろうなと思ってしまう。
手に入れてしまえば、きっと幸せになれるだろうけど、近いうちにそれを強く握り過ぎて壊してしまいそう。
しかし、
「こいつは十分手に負える。」
そんな対象があって、人間があったとしたなら、きっととても残酷なことだろう。
だからいっそのこと、何事も手に負えないって分かればいいのに。

 

 

「進路や就職はまったく未定だが人間的目標は、多大なる目標が存在するんだ」
と言う(言ったこと無いけど思ってるらしい)割にはずいぶん自信がないじゃないか。
自信の無さが一種の強みであったことは確実だ。
ネガティブなものが個性に深く侵食していくようだった。
ずっと前からそう。
だから問題にしなくていいのだ。
でも心配だ。不安症の上にある、漠然とそこに浮かんでる、何十年後も後に気づいてしまいそうなその絶望がたまらなく恐ろしい。
少しばかり打擲してやればすぐ元の形に戻ってしまう、現代的な意味で頑丈な心も、そればっかりは対処しようが無いんだけど。

 

*人の上に立つことは好きじゃないと思っているけれど、人を見上げているのも上手じゃない。