4:00AM

”考えろ”なんて言わないから

4/10

言葉を自由に使えなくなった気がする。
最初から完全に自由だったわけではないけど、前よりは変わった。
思ったことを口にすればいいだけのことなのに、それを本当に自分が思っているのか、確証が無くて言えなくなる。
言霊的な結末が恐ろしいというのに近いかもしれない。
例えば、「死にたい」と言ったとしてその瞬間、自分が今まさに死のうとしている状況に置かれたら、それをすんなり受け入れられるだろうか、ってことで。
死にたくない嫌だ死にたくないと言って泣きわめくのなら、その言葉は本気じゃなかったことになる。
本心に確信がもてるかどうかなんて、自分ではわからないもの。
「死にたい」と簡単に呟ける人は、その点を考えたことが無いんだろう。きっと疑ったことが無いんだろう。
自分だって死にたいと言ったことは何度もあるけど、余程苦しい時じゃなきゃ言わなかったし、あれは嘘じゃなかったと信じてる。
言ったことが本当になったとして、それを認められずにいるのはすごく情けないことだ。
だから何も言えなくなった。
誠実な人間になったとは言えない。ただ恐ろしいだけ。
嘘の言葉を吐くのは簡単だけど、そこまで落ちぶれてしまったらそこらへんのゴミクズの仲間入りだ。
悲劇の主人公になりたい欲望が消えてない(消えることは無いだろうけど自制はしてる)内は、そうやって何もかもを疑ってしまうんだろうな。
これで差別化を図れるなら別に最悪な事でも無い。

 

――補足1:逆の話――
例えば、死にたいと言った瞬間にジョン・メイトリックスが利き腕じゃないほうの腕で僕の足を掴んで崖から落とそうとする、としよう。
次に書くのは、先に書いたことに言える反論みたいなことなんだけど。
逆さ吊りになった時にパニックになって「死にたくない!」と叫んでいる。
これは本心と言えるんだろうか?
本心というものが理性から論理的に導き出された結論だとしたら、パニックになって本能が出ている時に言う言葉は、『本心』では無いかもしれない。
(もしかしたら心理学でこれに関して定義が存在するかもしれないけど知らないから放っておく。)
そうなれば、あくまで理性的に出した結論が現実と対立している構図では、それを言葉にすることは間違っていないんじゃないか?
よく分からないけどこれも十分考えられることだと思う。

 

――補足2――
そもそも僕は痛みを伴わずに死にたいので、死にたくないと叫ぶのは単純に痛いのが嫌だと言っているだけかもしれないな、ということ。
死への恐怖か肉体的苦痛への恐怖か、区別がつかないのはおかしなことじゃない。