手帳

スケジュール帳を見ながら、「その日は駄目ですねー」と言える人が少し羨ましい。この9月は予定がほとんどない。というかいつもそんなに無い。だからせっかく買った手帳も、使わないままなくしてしまった。大学生の長い休みを無駄に消費しながらできることは、音楽と映画で現実から目を背けることくらいだった。

 

バイトとか、自動車学校とか、社会的な経験値のためにやらなきゃいけないことがこの先に控えていて、分かっているけど、考えても答えが出ない。答えというのは、問題に対する自分の姿勢はどうあるべきかということなんだけど。不安だけどやるしかない。せめてこの不安を軽くできるように、どうにか考え方を変えられないかな、と。そういうことを考える。そしてひとつも進まない。日が経つのを、いつもいつも怖がっている。

 

初めて聴く音楽や聴き慣れない音楽を聴いてると、頭のはたらきが鈍くなる。良いことも悪いことも考えなくなるから、つらいこともなくなる。こんなに未来が不安なのに、ストレスとして蓄積する前に頭から抜けていってしまうのは、そのせい。もう何年も聴いている曲は、その曲について頭を使わせないから、いろんな景色や言葉が頭に浮かぶ。それだって、いつものことではないけど、頭が悪くなってしまったかもと焦っているときには有効。そうやって未来から気を逸らす。

 

この間みた、『クロニクル』という映画の主人公は、ビデオカメラを通してでしか外界と接触できないような少年だった(映画は、主に彼のカメラの映像で構成されている)。そういえば、高校生になった自分を、それまでは家でゲームしかしていなかった自分を、外に連れ出してくれたのもカメラだったな、なんて思った。カメラといっしょに訪れた空気や景色は、いまの自分には欠かせないものだから、カメラが無かったら、まったく違う人間になっていたと思う。少しだけ、自分をマシな人間にしてくれた。先日、新しいカメラを買った。ホルガデジタルという、昔流行ったトイカメラの延長線上にある、1万ちょっとの小さなカメラ。確かにおもちゃみたい。娯楽に関わるすべてのものは、みんなおもちゃだと思う。こういう機械も人も肉体もみんな。少なくとも、仕事でないなら。