of Sadness

近頃、PCに溜まった写真の整理をしている。一眼レフで撮ったものは、ひとつの写真につきJPEGとRAWという2種類のファイルが存在していて、RAW形式のデータは、同じJPEG写真の2倍以上のデータ量がある。それがだいぶPCの容量を圧迫していたらしい。数打ちゃ当たるの精神でカメラを使うので、微妙な写真がとても多い。いまは余分なファイルを消しながら、良い写真があればインスタグラムにあげたりしている(ので、もしよければ見てください)。いろんな場所に行ったことや、その傍には時々友人がいたことなんかを思い出す。

 

残しておいても仕方のないような雑な写真(ほとんどがそう)をひたすら消していると時々、ある場所で撮った写真がすべて消されてしまいそうになる。単純に「この場所を訪れた」というメモ程度に撮っているから、構図も雰囲気もまったく意識していない写真。それでも、もしすべてを消してしまったら、自分がそこに行ったのだということ自体、いつか完全に忘れて思い出せなくなってしまいそうな気がする。そういうわけで、何枚かは選別して残すようにしている。
一度で数十GBのデータを削減できるので、空き容量が日に日に増えていくのを見ていて、うれしくなる(そのあと大量に買った音楽で少し増える)

 

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たまに、少し前にあったことを思い出す。どうして人を信じていたのか、そもそもちゃんと信頼なんてしていなかったのか、今では分からないけど。思い返している。酷いことをされて泣いたり、酷いことをされたという話を聞いて泣いたりしたこと。今はもう何故か涙が枯れちゃったこと。ある瞬間から、言葉だけじゃ安心できなくなったのは確かだと思う。言葉はぜんぶ嘘かも。言葉は限界で、それに代わるのは態度と時間だと分かったし、それが手に入らないのも知っている。あるときからイノセンスを失くした。初期ART-SCHOOLの歌詞を眺めながら一人で納得していた。

 

怖いものばかりだと思う。自分の周りに、未来に、気の休まらない長い時間があるのが分かる。怖がらないで、怯えないで、安心して、なんて誰かに言われたくはない。だって世界は実際とても怖い。だから怖いままでいいし、死ぬまで怯えていたっていいと思う。本当に欲しいのは、となりでいっしょに怖がってくれる人なんだろうから。それはとっても幸せなことだと思う。