時祷書

中学生なんてのはまだ幼い子どもだから、そこに先輩後輩なんていう扱いづらい権力を与えてしまったら、やっぱりその仕組みには失敗だってあるもので、自分はそういう場所にいたのだと思う。部活でスポーツをやっていたけど、上手ではなかったし、上手になろうともしていなかった。ただ全員が必ず何処かに所属しなければいけないらしかったので仕方なく、少しだけ経験のあったその運動部に入った。ほぼ毎日、放課後の3時間程度の練習は、ただ時間が過ぎるのを待っていた。遠くの壁にかかった古くて大きな時計を気にしながら、少しも針が進まないことにイラついていた。練習でも試合でも、メンバーの足を引っ張ってばかりだった。そうして、前に出れずに身の程を弁えようとすることだけに神経をすり減らして、帰ったら忘れるためにたいして面白くもないゲームに時間を使った。好かれるばずもなかった。試合に勝っても笑いはせず、負けても泣きはしなかった。3年の最後の試合でも。みんな泣いているのを不思議だと思いながら、それでもおかしいのは当たり前に自分だと分かっていたので、俯いて座るしかなかった。馬鹿にされたり、笑われたりしたことは少なかった。明らかに不必要な存在を見る目と、自分が自分に負う惨めさだけに縛られて、上手に振る舞えなかった。運動神経も、その競技に関わる判断力もしっかりしていた彼らの、その下に自分はいた。ただし彼らの人間性はゴミクズ以下だと正直に思っていたので、運動のできる人間は性格が悪いというか、自分とは合わないのだということを決めつけて、今でもそれを本気で信じている。

 

もう運動部には入らないと決めた。高校では人の少ない(少なかったが、自分の代で倍以上になった)文化系の部に入った。幸い興味を持てることがあったので、帰宅部でいいやと思ったことはなかった。その3年間は楽しかった。友人にも恵まれた。部活に関していえば、苦しいことなんて一つもなくて、忘れたくないことだけがそこらじゅうに散らかっている。

 

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中学のときのことなんて、いまの人格には関係ないと思っていた。いまの自分がこの自分になったのは、高校生のときだと思う。なんなら、「物心ついた」時期がそうだとでも言ってしまいたいくらい、それ以前のことは関係ないと思っていた。最近中学の頃のことをよく思い出す。バイトの環境に上手に馴染めなくて、誘ってくれた友人がだんだん友人ではなくなっていくような未来を見てしまう。いくら友達だといったって、新人だといったって、足手まといは本能的に嫌われるじゃないか。そんなこと分かってる。あの頃とまったく同じことをしている。ああそうか自分は、あの頃から成長していなかったんだと気づく。高校のときは上手に逃げられたけど、その代わり、欠陥は埋められないまま残っていたのだと知る。また明日も迷惑をかけ、不安と惨めさを積み上げ、時間がたつにつれて薄まるのを待って、数日後にまた同じことをやり直す。面接のとき、僕のことまともな人間だと思いましたよね、すみません、騙したつもりは無かったけど、きっと後悔してますよね。ごめんなさい、ごめんなさい。笑いごとじゃない。

 

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終わりが見えなくなってくる。1か月先のことも想像できなくて、ただ明日に真っ黒なデカい壁が見えて、毎日ギリギリでやっている。この、答えのない感じ、冬なのかなあって思う。冬を好きでいたかったのに、毎年この時期になると必ず調子を崩してしまって、風邪をひいたり死にたくなったりするものだから、冬が怖くなってしまう。どうしようもなく苦しい時に、答えが無いのが正解だと割り切ってしまうことはできるんだけど、それって何も解決しないので、気休めにすらなっているかどうか怪しい。そうやって出られなくなった袋小路で、死ぬしかないなーと呟いてみて、背中に乗っかった重い何かが降りるような、そんな気持ち。そのあと、家族や音楽や写真のこと、要するに義務と趣味を思い出して、甘えちゃいけないなって、それを背負い直す。常に死を思いながら生きていくのだ、なんて決心してみたりする。実は冬の間だけこれで切り抜ければ、暖かくなれば少し楽になれるのを知ってる。だからそれまで、どうにか生き抜いていかなきゃならない。つらい、苦しい。そんなことを毎日やっている。