身の程

お店を出てから、安心のための深呼吸もせずに自転車の方に歩いていった。小刻みに吐く息が白いことに感動したのはついこの間だったが、もう慣れてしまった。ここ数年、12月はかなり悪いことが起きて死にかけていたけれど、今年はまだマシだろうか。大変なことはあったけど。やるべきことをやった上での苦痛は、まだ自分を責めずに済む。今日(日付は次の日になっていた)もなんとか困難をクリアした。時間が経てば終わっていく問題だから、終わったあとの達成感なんて無いし、明後日くらいにはまた不安がひとりで頭を占めてしまうのを分かっていたけど、まあいいや、と思える。だいたい7時間くらい前、宴会の予約が積み上がった今日の予定表を見つめながら、「今日も大変そうだけど、終わってしまえば何てことないのにね」と店長。そうだと思う。終わってしまえば振り返ることも無く忘れてしまう。それは心に良いことだけれど反省も無いので、どうなのかなと思っている。短命な安心感をしっかり噛みしめながら、自転車を動かした。家とは反対方向の街では、月末に向けて飾りがつけられていた。人のいない道を、街路樹のイルミネーションと街灯が照らしていて綺麗だと思った。急いで帰る用事も無かったから、身体は自然とそちらに傾いた。――そういえばさっき、この道を全力で走っていたのだ。ウェイターの服装(すごく寒い)のままで、眼鏡を忘れていったお客さんが歩いていると思われる場所まで、疾走した。ほとんど勘で交差点を何度か曲がった先に、その人は居たので、無事忘れ物を渡してお別れした。酩酊の中でよろけながら、何度も「ありがとうねえ」と言っていた。こんなことで感謝されるなら楽なものだと思った。――街路樹の枝に巻きついたライトは正直しょぼいものだったけど、あらゆる不安から意識を逸らそうとしている自分はそれでも何か明るいことを、綺麗な事を考えなければと、光の中をずっと歩いていった。きっと大丈夫だ。

 

もうなんだかよく分からない。家に帰ったあとはずっと泣いていたように思う。誰も居ない部屋にただいまを言った後ベッドに突っ伏してそのまま。1時間くらい動かずにいた。こんなことをまた、ずっと繰り返すのなら、この冬だってやっぱりろくなものではないのかも。後になって思い返せば後悔するような、些細な楽しみも覚えてられない日常など、生きた甲斐もないだろう。不安も苦痛も受け入れましょうと、最悪死んだって構わないと、それはひどく悲観的なようで逆にずっと楽観的な考えだった。本当に身体の重い日は、きっと死ぬのも億劫だと思うだろう。それでも、調子に乗りながら突然突き落とされるような、そんな惨めな思いはしたくないから、これからも気持ちは低く沈んだままで。それでいいのだと毎晩確かめている。家族や周りの人のことを少し思い出して、自分の命を決めるのはもはや自分ではないのだと初めて知る。