日記

いつか終わる安寧の中にいて、終わることに怯えながら楽しいことを楽しいと思えるように必死にやっている。躁躁鬱で進む生活だから、ただつらいの殻だけ残った心のあたりを不便に思っている。確かに穏やかであることを願ったが、そう長くは続かないこれのことを願った通りのものだと思えるだろうか。本当に最低だと思った冬の不安が染みついた音楽を流したり、初めて聴く音楽で頭の余裕をなくしてみたり、そうしていつのまにか最近まであったすごくつらい感覚が徐々に無くなっていたのに気づく。ある日は、それを忘れてしまうことを悪いことだと思わないようにと書き残した。また別の日に、忘れてしまったらまた同じ間違いを繰り返すんじゃないかって、そんなの認められないってことを書き残していた。そういう日記のなかでは、なるべく嘘のない言葉で苦しいことを苦しいと嘆き、忘却に対して下手な抵抗を試みていたことをずっと忘れないようにと願っている。

 

同級生の運転する車のなかでみた、道端の枯れ草。
ライトに照らされたもののすぐに暗闇の中に流れていってしまうのを眺めていた。
帰りの遅いバスの中で、点灯したとまりますボタンが初めて本当に綺麗だと思ったこと。
列車の巻きあげた雪の粉が、日の光を反射してきらきらしていたこと。
そういう些細なことまでも、しがない1日を無かったものにしないために記録している。
そういう日記を書いている。たまに忘れる日もあるけど、残すことが大事だと、残さないと後でどう悲しくなるか分からないからと、また心配に思うことが増えていく。