テア・アス・アパート

me fall

 鏡の向こうで仰向けになった男を見ている。暗がりで、誰かに身体を舐められながら男は泣いている。それが愉悦のためなのか、悲嘆のためなのかは分からない。とにかく、彼らは未来を終わらせる約束をしたのだった。もうこの血は後には続かないだろう。だから、系譜の末端にあるこの命が終わるとしたら、それが明日や明後日でも、あるいはずっと、何年も後でも同じことだと思う。いつの間にか人生は、緩やかな自殺であること以外の印象を失っていた。
 割り切ることができて良かったと思う。それは単純に、歳を重ねたことで恐怖が麻痺しただけかもしれない。でも、今ここにある安寧や快楽のためだけに命を弄ぶことが、つまり今日とまったく同じ日がこれからも続くようにと願いながら暮らすことが、考え得る限り最善の人生だった(それは今となっては、簡単に叶う望みだった)。
 二人は野心というものを遂に理解することが無かった。これ以上何も続かなくていいと信じていた、二人は本当の意味での幸福を感じていた。理由も無く始まった夢は、最後まで目的の無い夢のようだった。

 

 日記帳の内容は、いつの間にか虚構ばかりになっていた。現実も夢も同様に、下手な嘘でしかないと思った。そうやってうんざりしている間に、細いペンの染みがゆっくり広がって止まる。最後に、この男は僕ではないと断っておく必要があった。
 日記って、他の誰かが読むことを想定して書かれるべきなのだろうか?

 


haven

 平日の夜、日付が変わる頃、家からだいぶ遠くまで来ていた。街灯の無い田園地帯は本当に真っ暗で、春らしい涼しさの空気を広い星空が覆っていた。自転車を走らせながら考えていたことは、まさに考えているその時でさえもはっきり分からなかった。怖いような、安心するような、心地良い孤独があったのかもしれない。肌寒い暗闇のなかで、ひとりで死ぬのはこういうことなのだと悟った。ここで倒れたら誰かが見つけるだろうか。もっと山奥に入る道を進んでみようか。それでは本当に帰れなくなる気がした。
 石畳の私道、川に架かった低い橋梁、たくさんの欲望を写した看板の間を、逃げるように急いで車輪を転がしていた。そうだ、いつも何かが怖くなって、逃げるように明かりの方へ帰るのだった。夜は自分のための時間ではない。夜を楽しめるのは、まったく違う種類の人達だから。

 


tear us apart

 たった一つの短い台詞で、自分はまだ自然に涙を流せるのだと安堵したことがあった。普通、目の前の現実を過剰に物語化して自分を悲劇の主人公だと思い込んだりしなければ、人は泣いたりしない。そうする暇もないほど唐突にやってくる涙だけが、純粋で信用できるものだと思う。ほとんどの場合、他人が嬉々として告白する感涙は信じるに値しない。
 前にも同じことを書いたかもしれない。