goodbyes

いつの間にか、ずっと前から、不安は安心の土台になっていた。
不安を感じていること自体が安心の必須条件になってしまったのは、不安がただの防衛機能だからだろう。
安心しきった状態で、絶望や不条理や、時に訳の分からないくらい冷淡で無責任な人の言葉にぶん殴られるのがとても怖くて、不安を抱えることが、あるいは期待しないことが、身を守る手段になっていた。
ノーガードで背中を刺されるよりは、確かに怖いと思ってたんだ、って後から言えたほうがずっと良い。
例外はあった、けど、それも結局は自分じゃない怖い人たちの一部分でしかなかったことを理解した。
約束とか、何かしてたっけ?

 

 

不安はあったほうが後々助かることの方が多いのは、実感として確かにあるからいいとして、これはその不安が耐えきれるものである限り有効だってことに気づいた。
もうすっかり癖になってしまったので、あきらかに大きすぎる不安も無理矢理吸収しようとして心はぼろぼろになった。
安心したと思った瞬間に、このままじゃ危なくない?って、また不安のところに戻ってきてしまうんだけど、それはもう自分ひとりの手に負えるものではなくなってるから、救われないような気がしてくる。
たぶん本当にそうだけど。

 

 

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心のメンテナンスという言い回しが気に入っている。
もう機械としか見なしてないところが。
ゆっくり治していこうよね、って感じがしてほんの少しだけ気楽になれる。
この苦しい感じを、癒えない傷だとかトラウマだとか、そんなふうに呼び名をつけてみると、存在を確認出来るので助かる。

 

音楽とか動画とか、今日知ったくらい知らない人のブログ(めっちゃ面白い)を読んだりして、なるべく嫌な事は頭から排除してみる。
1週間くらい続けていて、やっと持続する感が出てきた。
受験だって完遂していないのに、心を治すのが最優先だとのたまうだけでそれが許されるような気がしているので、暇があれば眠っている。
こういうとき優先順位を間違ってるなんて思いたくない。
いつだって精神衛生を最上位に持っていきたい。

 

そういうわけで、ここ最近は9mmのレボリューショナリー聴きながら「染めたのさ~~~ッ!」って小声で叫ぶ生活を送っている。
とにかく、今は悪いことを遠ざけること。
人の心配なんて後回しにしてしまうのを許せるようになること。

 

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