ヘジラ

 見慣れない小さな窓。カーテンの向こうが明るくなっていく。よく眠れなかった朝はいつも、陽が空を照らす速度に感心していた。日の出より前に起きることが最近は多かったので、いまが何時なのか、窓を見つめながらだいたい推測することができた。他人の部屋に泊まるのはかなり久しぶりだった。酒と少しの食べ物の匂いが微妙に残った部屋は、青白く明るんでいく。目を醒ましているのは自分だけだった。まだ帰るには早い。雨の音が聞こえるから、傘を借りようと思った。だからみんなが(というより家主が)起きるのを待っていた。

 

 この視界を写真にして残したいと思った。忘れたくないと思ったし、忘れたくないと思ったことをあとで思い出せるように、残したかった。今まで撮った写真や汚い字の日記は、そうやって未来のことを想像しながら形にしたものだった。現在を振り返るであろう、ある日のために残しておくものだった。だから未来がいよいよ想像できなくなったとき、画像も言葉も残す意味が分からなくなった。人生の終わりに来ているような気がした。もしかしたらもう終わってるのかも、とも思った。綺麗な思い出は何のために存在するのだろう。

 

 いつかこんな時期が来ることを、ずっと前から知っていた。だから身動きがとれるうちに、知らない場所に出かけたり、手あたり次第に本を読んだりしていた。ずっとそんなふうに暮らしたかった。それが無理なら命をもっている理由も無いような気がした。頑張って無理をして、心身を傷つけて乗り越えた先には、べつに、何もないことを知っている。何もないどころか、新しい苦痛と息のできない地獄があるだけだ。出口は別の入口へ繋がっていて、ひとつだけの(「認知の歪み」)逃げ道を選ぶには、生きてゆくよりも大きな勇気が必要だった。