上手な休み方

今日の空はとても綺麗だったのに、一歩も外に出ることなく終わってしまった。
外出の為にかかる数十分が面倒だったというだけの理由で。
昨日いろいろあって疲れたから、なんなら今日はずっと寝ていようかと思っていた。
けど、そうやって潰した一日を後で後悔することもまあなんとなく理解はしているので、9時頃に起きた。自分にしては早起きってことになる。
結局、ずっとPCに向かって意味もあんまり無いことをし続けていた。DVDを3つ見た。

 

答えも出ないことをずっと考えていた。
どうしてこの先に進むのがこんなに怖いのか、ってことを。
よく考えれば、浮かんでくるのはいつも手厳しい人たちの無表情だった。
「今日からきみは一人だ、さようなら」と言って僕を捨て置き消える人や、悪意のない一言で怒らせたために、「勝手にしなさい」と言って玄関から僕を締め出した親の顔。次やられたらアパートの3階から落ちてやろうかと思ったものだけど、結局次も外で泣いているだけだった。他のうちに迷惑がかかるから静かにしろと言って今度は家に引きずり込む。子供として当たり前の反応をしただけなのに何をしても怒られるような気がした。

 

人に頼らなければ心がどんどんきつくなる。
でも頼ってしまえば、見捨てられる恐怖に怯えるばかりで、それも苦しいんだろう。
大人になれなかった。人に頼るなんて恥ずかしいから。これが本音。
両親にメンタルの不調を訴えたことはたった一度しかない。
ある冬の夜中に、別にいま心配しなくもいいようなたくさんの心配事を思い出して、その雪崩みたいな不安に呑まれて泣いた。それまでも、似たようなことはあった。そのときはたまたま、リビングでテレビを見ていた親のところへ行った。
思っていることを話した。「死にたいなんて言わないでよ」「明日は学校を休んでいいから」そのくらいしか言えなかったことを、いまは責めようとは思わない。
「病院に行こうか?」そこで同意していれば、未来はもう少し変わったかもしれないのに。場合によっちゃ薬をもらえたかもしれない。
まるで自分の不安に向き合うことを、親が放棄したような、そんな印象を感じ取ってしまって、そんなものいらない、と言った。
何も解決しないまま、そのときは泣き疲れて眠った。
人に頼っても、あんまり楽になれないのな。
そう理解してからは、しんどくても吐き出す場所はツイッターくらいしかなかった。それでちゃんと生きてる。
これでも、先の保証は何も無い。
2年ばかり前のことでした。

 

先の不安に気を取られて今現在を何も楽しめない。心が休まらない。
上手な休み方が分からない。
ちょっと気分が悪くて学校を休んだ日は、学校にいるみんなの授業が終わる時間まで、僕は家の中で身動きが取れなかった。その時間を過ぎると、そろそろ自分も自由になっていいだろうかという気になって、遊び始める。もう日も暮れた夕方に。
自分を追い込んでしまう以外に進展のない休日なんて健康に悪い。
でも、もう手遅れだ。
また明日どうにかしようと思う。きっと。