ポスト

 先が行き止まりになっているのを知っていても、その道を進むしかなかった。確実にやってくる休息の終わりや、自分一人では手に負えない出来事にぶつかるのが怖くて毎日怯えている。かつて自分とは無縁だと思っていた状況が次第にはっきり現れて、すっかりゴミやクズなどの形容がぴったり似合う人間になってしまった。下には下が居るものだと分かっちゃいるけど、自分にとっての限界は割とすぐ近くにあって、こんなはずではなかったと嘆きながら明日には何かが(主に堕落しきった情態が)変わることを期待している。眠る直前だけ躁になったようにすべての面倒ごとを忘れて頭を振って、目が覚めればいつも通り腐った朝を迎える。自分がこんなに弱い人間だなんて思いたくなかった。でもずっと前から軽めの気持ちでそれを受け容れてもいた。

 

 観念的な逃避の為だけに多くの時間とほどほどのお金を費やして、得たものは確かに自分の輪郭を形作ったように見えたけれど、あるようで無いその防壁は現実の暮らしにおいて何も守ってはくれなかった。昔から強迫観念を上手に消し去ることができず、娯楽に没頭するのが苦手だった。背後に張り付いて自分を見張っている不安のことを考えないことは無く、思えばずっと昔から未来に怯えていたのだった。幼少の頃の記憶はどうしようもないほど憂鬱な灰色のベールにくるまっていて、思い出すのもしんどい。

 

 自分を慰めるための手段は一切許されないような気がしているのに、それにも抗って毎日少しずつ確実に落ちていく心地がする。冷静に考えれば本当にヤバい状況なのに心の底からヤバいと思えないのは、自分がもうずっと前から頭が悪くなって、とても冷静じゃないからだと思った。あなたがつらい思いをしているのは真面目過ぎるからだよ、とよく人に言われるけど、今までも本当のところは、最後にはどうにかなるものだと割と信じていたのかもしれない。最近では、どうにかならない未来もあるのだという事実をようやく実感(体感?)し始めている気がする。

 

 いつだって自分一人で何とかするしかないのだけど、くよくよしながら弱音や文句を言いすぎてしまう時があって、いつも申し訳ないと思う。助けを求めるなんてことは今までもこれからもできるわけがないのに、たまにそれを抑えられなくなる。助けてください。

 

 駄文でした。

その他の悪

 いつもその後になって、自分のやったことは如何様にも解釈できてしまうことに気づく。ほとんどの行為は自分を追い込むためだったとも、反対に甘やかすためだったとも言えてしまう。敢えて人との関わりを避ける、安直な自己アピールに走らない、欲求が発散されて気分が良くなるだけの諸々を嫌う……など。もしどんな行為にでも言い訳を着せることができるなら、そうやって繰り返される遠回しな自傷行為だって真意は裏にあったのかもしれない。もっとも意識の本当の裏側は、どう強く賢く意識しても気づけないからこそ裏だと言える。抑圧された何かに一人で気づくなんてことは、抑圧の定義からして不可能なんだろう。こうして自分が気づけたのは、隠されたものとは別の何か、辻褄が合ってるだけの虚構だ。

 

 巷に転がる意見や「事実」から、自らの知識でも思考でもなくただ直感に適うものだけを拾って、それらを「正しい」と断定するだけの言説に見るべきところはない。底(奥行き?)の浅い人間の言う「深い」にたいした深さは無い。最近本を読む時間が格段に増えたけど、そうしている間は本当に安心を感じられる。うんざりするほど程度の低い言葉に触れなくて済むから。

 

―――

 

 小さい頃から、不安と恐怖の混ざり合った気分で、「自分の両親は人間じゃないのかもしれない」と思うことが多かった。この世で本当の人間は自分だけ!という妄想は今はもう無いけれど、両親が一体何者なのか、未だに考えてしまうことがある。自分には、恥なんて無いみたいに欲望を表に出して他人に接触していこうとする、そして結果的に人生が上手くいくタイプの人間を「あっち側」だと思って目の敵にするきらいがあるけど、自分の周囲にいる大人たちが若い頃どんな種類の人だったのか、想像するのは楽しくもある。その区別で言うなら、ちゃんと大人になって結婚して子を産んで、、とやってきた両親は間違いなくあっち側で、自分とは種類の違う人間じゃないか……。

 

 両親はとてもしっかりした人だけど、その人生で決定的に間違ったことがあるとすればそれは自分を産んだことだ。自分は人並みかそれ以上に親を恨んでいた。「両親は人間じゃないのかもしれない」というかつての不安は、本当は「両親が人間じゃないものであってほしい」願望だったのだと、最近になってようやく分かった。

安心感とフォーク

寛解

 いまの自己へとつながる連続性の始まりは、たぶん中学3年とかそのあたりだと思っている。その頃から常に、「不安を感じていないと安心できない」状態でやってきた。何か見落としていることは、忘れていることは無いか。背後に危険は居ないか。そうやって注意深く周囲や視線の先に気を使っている間だけは安心できる。自分にとって不安は、意識のうちかなりの領域を他でもない理性と共有していた。不安には誤謬よりも筋の通った因果を見ていた。それらがまったくの別物だ(と、見なしてもとりあえずは問題ないらしい)ということは、OCDの行動療法についていくつかの本を読んで、実践して、初めて実感できたことだった。油断しちゃいけない、と意識し続けてきた割にはお粗末な欠陥を生むことも多々あったけれど、不安感のおかげで失わずに済んだものも(一種の不安障害であるとはいえ)多かったような気がする、ということは今も変わらない。
 精神衛生上穏やかな日々というのは、長く続く予感がしない。現在のような安心と不安のバランス感覚は案外脆く、ちょっとしたきっかけできっと崩れてしまう。いまはただ不安や災難がその手を休めてくれている。自分じゃどうしようもないので、今のうちにできることを済ませておこうという感じで過ごしている。本をたくさん読む。暗いばっかりじゃない音楽を聴いてみる。明るく振る舞う、とか。

 

レコード

 ある秋の夕方、ライブハウスの開場までかなり時間があったので、近くの公園のベンチに座り、寒さで半ば震えながら暇を潰していた。遊具では親子が遊んでいて、まだ少ない落ち葉は砂の上にぽつぽつと撒かれていた。高いビル(ただし田舎者の視点)と忙しない道路に囲まれた公園だから、車の音が子供の声をかき消しそうなほど絶え間なく流れていた。
 そこそこ広い公園の反対側、向かいのベンチに、すごくあったかそうな服を着込んだ女の人が座った(まるで真冬のような格好だったけれど、そうでもしないとちょっとつらい気温だった)。しばらくして彼女は、ウクレレか何かを弾きながら歌を歌い始めた。音はかすかに聞こえる程度で、その言葉を判別することはできなかったけど、こんな映画や小説みたいな場面に出くわしたことがとても嬉しくて、感激してしまう。時間になったので近くの出口から道に出たけど、何か声をかければよかったかな、と少し心残りだった。
 すっごく癒された。

花束を縫う道

部屋、そのほか

 壁を注視した経験が実はあまり無く、「見慣れた壁紙」なんて言えないことに気づく。家に帰りたいと言ってもべつに部屋が好きなわけじゃなくて、ここはただ安全なだけだった。外の冷たい空気のなか、人通りの少ない(ほとんどない)道を歩くときのほうが安心するもの。この部屋にはパソコンや本やCDが置いてあって、日用品が並んでいて、倒れたり乱れたりしたものは元の位置に戻す。最近は部屋でしかできないことどもにあまり固執しなくなった。ような気がする。たとえば部屋でもずっと本を読むとか、徐々に暗くなってゆく外を眺めるとか。そういうことができるのは心の余裕のせいか、心がけの違いだけなのか。机に積まれている、買いすぎた本たちが私を急かすので、それらを消化することばかり考えている。いつも自分が変わるのは、周りの環境や人間関係が変わったときだけだった。変わりたいなら周辺から変えてゆくこと、自分自身を変革するなんて無謀なことには挑んでも負けるだけだったから。

 

礼服のひとびと

 少し離れたところにあるお寺に、礼服姿のひとが集まっていた。ぞろぞろと何処かに向かって歩いてゆく人のなかには、花束を持った人、指にに煙草を挟んだ人。みんな悲しい顔をしてはいないから、これはきっと(決して頻繁ではないにしろ)慣習の色が濃く、そこに何か懐かしさを感じて、自転車でそばを通るとき嬉しくなってしまった。不謹慎だけれど、でも安心してしまう。親族たちが集まっているその人と人との間には、私が恐れるような想像を挟む余地がどこにもないから。回想や少しの怠惰だけが横たわる法事の雰囲気は、田舎のおばあちゃんの家のことや、読経の間に板張りの隙間から見ていた景色を思い出させる。

 

図書館

 ブラインドの影は時間が経つにつれて傾き、その手を伸ばし、ときには首筋に温かい光を届けている。いつも窓の向いている方角が分からなくなる。図書館の古い椅子と、思想事典の頁をめくったときの匂いと、無線イヤホンから流れる環境音楽は綺麗で、その場でルーズリーフにメモをしてしまう。少しのことでも忘れたくないから、綺麗な何かに気づくといつも急いでメモをとる。いつか思い出すだろう、ってくらいの楽天的な心持ちでいられたら、言葉じゃ足りない郷愁が未来に残ってくれるのだろうと信じている。あとになって訪れるそれはとても心地よい苦痛で、手放すことを嫌がって、きっと死にたくなるほどなんだろうと、今でもなんとなく想像できる。

 

9月の花

 車窓から見下ろした住宅街に、コスモスのたくさん咲いた広場があった。そこには一本の細い歩道が通されていて、日が暮れる色と相性の良い、きれいな場所だった。近いうちにここへまた来ようと思ったのに、結局行けなかった。それから2か月ほど経った今日、道端に咲いた花を見たときに、今年は何度コスモスを見ただろうかと思い返して、割と季節を享受していた事実を確認した。いっぽう、紅葉を撮りに行こうという気分に今はなれなくて、このまま多くのものが枯れてゆくのを眺めているだけになるかもしれない。冬の茶色の山肌を電車から見ていたときに聴いていた音楽を今流してみて、その乾ききった憂鬱が痛いくらい刺さる。いま、冬を迎える準備をのんびりやっているところです。

 

 久しぶりになんか書こうと思ったのだけれど、えらく牧歌的な雰囲気になってしまった。最近はそういう気分で過ごしています。すてきな季節。

鈍い縁

 今月こそはちゃんと外の空気を吸って、写真を撮ったり田んぼを眺めたりして過ごしたいなと思っていたのに、いざ一人でそこそこ自由な生活に投げ込まれると、引きこもってディスプレイと向かい合う時間ばかりになってしまう。あとから後悔するのだから、いま面倒でも重い腰を上げなくちゃならない、と分かっているのに。明日こそ、次こそは。と心に決めたところで明日の天気を確認していないことに気づく。この数秒後、青い傘マークが目に入ったなら、わたしはこの気持ちをどうすればいいのでしょう。

 

 

 このあいだひとつの小説を投稿した。誰が、何人くらい、どんな気持ちで読んでくれたのか、なんてことが全然分からないから、読み手の反応を見て手ごたえを得る、ということが(毎回そうだけど)できない。だから自分で納得できるものを、自分を救えるものを、あるいは祈るようなことばを、、というふうにしか目標を設定できない。それで構わないけど、感想が聞けたら聞けたでとても喜んでしまうのだろう。ただまあ、毎度のことなのであまり気にしないようにします。

 

 カミュの『転落』という短編小説が好きで、読んだ回数なら『異邦人』よりずっと多いかもしれない。日常的に頭に浮かんだ考えに対して既視感をおぼえると、たいていはこのレシで既に読んだことだったりする。いつ何を書いても土台には結局『転落』がある気がする。ここでのクラマンスの語り口が好きで、3年前に自分が書いた『4am39floor』ではその文体をそっくりそのまま真似している。言ってることも所々重なっている(その深さは当然、雲泥の差ですが)。さきほどその『4am~』を読み直していたらなんだか気持ちが悪くなって、これは見るに堪えない文章かもしれないと思って画面を閉じてしまった。いまでも自分の書いたものはけっこう気に入っているのだけど、御本家のことを好きになればなるほど真似事の産物は苦手になってしまうということがあってもおかしくはないかな、とも思いました。過去の作品を恥ずかしいと感じたら成長の証明、というのは一理あると思うけれども。

 

 このあいだ公開しました
 『よすがの窓』(2019.08.31 星空文庫)

slib.net

  
 ART-SCHOOLの楽曲が時折そうするのを見習って、有名な映画や小説、思想系の用語の引用がここにはたくさん詰め込まれている。それらを解説する(すこし偉そうな言い方だ)ブログ記事を書こうとも思ったのだけど、なんとなくあとで後悔するような気がしたので思いとどまりました。サンプリングやオマージュが確信犯として機能するためには、作品のおかれる環境がとっても大切なのだと思います。

 

 そんな試みによってこの短い小説に意味的な厚みが少しでも加えられていたらいいなと思うけど、読み手にはあまり伝わらないかもしれない。明け透けにはしていないけど、バレるとちょっと困るかもしれないようなきついこともこっそり書いてしまった気がする。ともあれ、この拙い織物にたくさんの記号を読み取ってもらえたら、わたしはとても嬉しく思います。

 

 

いまが苦しくなければそれでいい


 簡単なことを見落としている気がする。自分以外の全員が世界の当たり前を知っていて、自分は笑われたままでいる。そんな不安がずっと消えない。

 

 人とは分かり合えない、と、使い古された言い回しをまた使うことが恥ずかしくなるくらいには、そのことを十分承知していたはずなのに。つよい実感があると、結局は怖がってしまうし、悲しくもなる。深いところで通じ合うなんてことはあり得ないとは分かっていて、それでもなんとなく分かった風のやり取りができればそれでいいと思っていた。ここ最近(もしかしたらずっと前からかもしれないが)表面的にも齟齬が出始めていて、いよいよかな、という気がする。いろんなことを知っていくと、可能性として残っていた未知の領域は狭まって、潜在的な希望がまったく意味をもたなくなることがある。共感の可能性を残された人がどんどん減っていく。孤独と呼ぶのもダサいので、自分をなんと形容するか分からぬ間に、近いうちに死んじゃうから、別に気にしなくてもいいと、ごまかしていた。

 

 人間であればおそらく通過することになる、あるいは続けなきゃならない面倒ごとを、「どうせすぐ死ぬのだから」と先延ばしにしてきた結果、いよいよ死ぬしかなくなっている。未来の自分がきっとどうにかしてくれる、という過去の自分との約束を守れたことは(記憶の限りでは)一度もない。たぶん、あとの自分に託そうと選択してやったことではなくて、先延ばしにする良い方法を前提において、思考をやめていたのだと思う。自分の手に負えないものは、ずぐに頭から出て行ってしまう。いまが苦しくなければそれでいい。と思っていた。これからもそう。

 

 死にたいと口にすることは、ただしたいことの表明でしかないのに、そこには救済を求める意味が勝手に添えられてしまう。もうやめたいんだよね、と親に言ったところで、そこで生きる希望(他の人はそう見えるらしい)を提示してもらったとしても、生きたくはないのだから、どうしようもない。だから何も話さなくなったし、秘密主義の悲観主義者とでも思われてるんじゃないかな。秘密にするのは、話しても無駄で、誰のことも頼ってないというだけなのに。

 

 きれいなものを見るには余裕が必要だ。苦役の中で感受性は死ぬ。だから働きたくない。ものすごく単純で、避けがたい。余裕がないとき(そういうときがあった)何も面白くなかったし、きれいなものは無かった。鬱のひとが歌う歌しか聴けなかった。好きな歌のほとんどを、耳が受けつけなかった。

 

 存在証明のために声を上げることは、攻撃か侵犯のどちらかだと思う。言葉の針をまき散らしながら刺したり刺されたりを楽しんでいるらしい。「私はここにいます」と言うことが何かを傷つけるなら、どうしたらいいんだろう。そればかり考えている。

 

 攻撃欲求からうまれる被害妄想は手の付けようがない。

 

 厳密に自分を責めたって、世の中の当たり前の間違いが見つかったって、結局誰もが経験的、因習的な頭でしか生きていけないのだと思う。何かを悩んだって、生き方がそう簡単に変わるわけじゃない。

7/1

自分の不安や強迫について親とメールで話すことは今まで何度かあった。昔からそうだが、自分のそういう気持ちを、正直に言うことは苦手で、むしろ嫌悪しているといってもいいくらい、言えない。本当のことを言ったことはたぶん一度もない。そうやって自分と、親の思う自分がズレていったのだろうと思う。けど、本当の気持ちを伝えるのは気味が悪い。気持ち悪い。
「心配させたくない」と言うのも苦手だけど、それは最低限伝わるように話しているし、伝わっている。けど親は親で、「親は心配するもの」だと思ってる。それは言葉の意味によっては間違ってなくて、でも自分が言う心配っていうのは「気にかける」みたいな軽い感じじゃないから。考えすぎて不安になってしまうような、そういう状態のことを意味しているってことが、長らく伝わっていなかったらしい。
人に話したって解決しないと分かっているのにどうして話せなんて言うんだろう。解決しないから自分は気分を悪くするだけだし、相手も不安になるだけ、損だ。

 

本当に嫌だ。